今日も休み。

思うままに書いたもの

休みはいい。昨日は休みで時間があったので少しだけいつもより家事をやった。今日も休みなので朝からパソコンを立ち上げてゆっくりしながらこうして文字を綴っている。

やりたいこと

自分のやりたい事について長い事考えてきた。自分はこの1度きりの人生で何をしたいのか。ハッキリ言って何も実現していない。そんな気がする。何かを実現したいのか。ラクして金持ちになりたいくらいしか浮かばない。オレはそんな人間だ。大層な目的とか立派な思想なんてもんは無い。その時々の気持ちに流されるように生きてきた。やりたい事を追い求めて、なぜやりたい事が必要なのか分からなくなった。オレはこんな風にフワフワした思考で生きてきた。自分というものがあるようで無い。映画やマンガだと大抵ロクな事にならないタイプの人間として描かれる事が多い。そうか、だからこのままじゃいけないような感覚に追われてきたのか。

夢を追い、仲間と共に冒険し、様々な困難を乗り越えて人生を築いていくというような『型』から外れるといけないような感覚に追われているのに

追いかけるような夢は無く、面倒事や困難を避け、仲間より自分を守り、何となく生きていくという『型』にはまっていく自分。こういうタイプは典型的にダメ人間のように扱われるような強迫観念。自己否定の根本は毒親の虐待だったのかもしれないが、それに加えて自分が好き好んで観てきたアニメや漫画や映画の刷り込みもあったのかもしれない。自分という根っこが無いから深く影響を受けやすいフワフワした精神に、カッコよく、憧れるような主人公達の熱い想いや生きざまが刷り込まれていった結果、自分もそんな風に生きようという気持ちだけが強くなった。健全な人はこのまま憧れに追いつくため、夢を実現するための意思を固めて現実に立ち向かい、本当に実現したり成功したりするのかもしれない。オレは何故か憧れるだけで、どこか自分にはできないような呪いに包まれていたような感覚がある。ハリウッド映画だと弱気な主人公を最初から最後まで信じ続けてくれる親の愛情を受けて自分を信じた主人公が自己実現するような展開がよくある気がするのだが、オレには最初から最後まで自分の事を信じてくれないどころか否定しまくってくる毒親の呪いがべったりと張り付いていた。信じられる味方がいないままの日々は知らず知らずのうちに心を蝕んでいたのだろう。そういうキャラは大抵迷惑なザコだったり、よくても悪の親玉だったりする。悪いものとして扱われる側の人間だ。主人公に感情移入して悪いものを憎み、悪が倒されるのを見てスッキリする。そんな風に作品を楽しんできたオレは、皮肉にも悪側の精神を持った堕落した人間に育った。

正義と悪

正義に憧れたのに逆の側に育ってしまったオレは思う。正義や悪という切り分けは危険だ。なぜツラい環境で育った挙句、悪として判断されるような精神を嫌って自分で自分を追い込まねばならないのか。逃げ場も救いもないように感じたって不思議ではない。怠けて、手を抜いて、流されて、戦えなくて、それでもいいじゃないか。そういう人間が胸を張って生きたっていいじゃないか。色んな事情を抱えた色んな人がいる。それには正義も悪もない。人が生きる姿があるだけだ。懸命に生きなくたっていい。できないものはできない。それでいい。勝手に決めた正義を振りかざして勝手に決めた悪を叩くのならそれはイジメと言えるケースだってあるだろう。勝ち続けているのに負けた人を思い遣れないのであれば、勝ち続ける事に追われて悲しみを増やす兵器のようになってしまう事もあるだろう。

悲しみに包まれて

「悲しみを乗り越える」という表現がある。オレは、無理に乗り越えなくていいと思う。悲しみに包まれて暮らす事も自由だ。オレは自分の人生を思うと今でも悲しい事がたくさんある。無理に振りほどこうとしたり無かった事にしようとしたりするとぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなる。ああ、悲しかった。今思っても悲しい。酷い事された。今思ってもムカつく。全部受け入れる事なんて到底できない。無かったことにもできないし、乗り越えるってのがどういう事なのかも分からない。時が経てば癒してくれる傷ばかりではない。なるべく思い出さないように生きようとしたって、脳が勝手に記憶をぶちまける時だってある。無意識という悪魔が嫌な記憶を掘り起こして心がえぐられる時だってある。そんな時は、自分にもがっかりする。なぜこの記憶が必要なのか、なぜこんな記憶を守る壁のない状態の心の近くに広げてしまうのか、ふざけるな、と。自分の心を守る気がないのかと。日常に差し込まれた毒が、今という時間を壊していく。悲しい。もう悲しいのでとことん悲しむしかない。立てないほど悲しいなら寝てるしかない。それでいい。だって悲しいのだ。死ぬまで悲しむのかもしれないが、それでもご飯が美味しい日もあれば日差しが気持ちいい日もある。悲しみに包まれていたって、そういう人生だってある。それは悪ではない。恥じる事でもない。堂々と悲しんで生きればいいのだ。同じように、嬉しい時や楽しい時は喜んで生きればいい。ムカつくなら怒って生きればいい。

全部自分の人生なのだから。

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