今日は休み。

FewRew

今日は休みだ。朝からパソコンの前に座ってタイピングをする。晴れてるのでカーテンを開けて外の明かりを部屋に入れた。いつもなら騒音とオイルの匂いと様々なものの鬱積した空気に包まれて作業をしている時間。部屋に入り込む太陽の光と静寂に包まれて心が軽くなった。朝は5枚切りの食パン一枚とコーンクリームスープ。昼ご飯は何を食べようか。調子が良かったら近所を散歩でもしようかな。出かけたくなったらそうしよう。20代の頃は友達や恋人と車に乗って出かけるのが好きだった。40代の今は人と会うのが面倒で運転するのも面倒だ。晴れた日に気が向いた時だけ徒歩圏内を散歩する。これが今のオレのスタイル。なるべくストレスを感じないように過ごす。心をいたわる過ごし方。テレビは見ない。酒は飲まない。タバコは吸わない。たまに映画を観る。音楽は好き。ネットは最近付き合い方を考えているところ。成功者のマウンティングが目に付くと嫌な気持ちになる。そういうものを見ないようにネットサーフィンするのは混雑した海でサーフィンするようなものだ。好きな事をしているはずなのに心が疲れる。一人で静かに心地良く過ごせるのは家の中だ。休みはなるべく家の中。窓を開けているので新鮮な空気が部屋を通り抜ける。穏やかな時間。安定していて心地良い。

欲しいもの

今のオレが欲しいもの。新しいiPad Proとアップルペンシル。10インチと12インチの両方。新しいiPhone。MacBookProも欲しい。NIのMaschine Mk3とMaschine Jam。KOMPLETE KONTROL S61 MK2も欲しい。PCのディスプレイも思い切って新しいのにしたい。3画面くらい欲しい。ざっと100万円くらいの夢だ。使い切っていい100万円が欲しい。今100万円貰っても貯金してしまうだろう。とりあえず思い付く物欲はこんな感じだ。

当然広い家にも住みたいし見栄の効いた車も欲しい。防音室で思う存分作曲したい。プライベートジェットも欲しいし海外に別荘も欲しい。

本当に欲しいもの

欲しいだけ続く安らぎ。無条件で与え続けられる愛情。大切にされているという感覚。嫌な記憶を思い出さない脳。嫌な未来を思い描かない脳。老害のいない社会。人を不幸にする法律の無い社会。利権より国民の幸福を優先する政府。渋滞も事故もない道路。人が大切にされる社会。

無い物ねだり

無いものをねだっても何も悪いことは無い。欲しいのだから欲しいと思うだけ。手に入れる努力をする必要もない。したければする。したくないならしない。ポジティブで前向きで自分を肯定していなければならないような強迫観念はいらない。前向きになるために受け入れるとかで無い。ただ自分や自分の心や人生がそういうものだと受け入れること。ただそれだけをちゃんとするってのが、今のオレがやっと辿り着いた境地だ。心にまで装飾しようとする、させようとする情報が多過ぎると感じている。心のブランド志向。ポジティブという海外ブランド。自己肯定という国産ブランド。宗教や歴史というブランド。全部飾り物だと思うようになった。オレは心も貧乏なので無理はしない。心の背伸びはしない。心には何も飾りが無い状態が一番いい。それでやっと自分の心と向き合える気がする。足るを知る、とか言う前に自分の心を知れた方がよほどいい。足りていると感じたならそれでいい。足りないと感じたってそれでいい。型にハメてはみ出したものを良くないとすると心の余裕が減る。それは嫌だ。そのままがいいのだ。そのままの自分でいい、あるがままの君がいい、なんて他人に言われても特に嬉しくない。君は今のままじゃダメだ、なんて言われても嬉しくない。人に何と言われようがどうでもいいと思える自分の心の状態が嬉しい。そもそも人の良し悪しを勝手に判断して人に意見するってのはどうなんだろうな。ただ自分だけ見てればいいのだと思う。

心と制御の二人三脚

自分の心と自分という二人の自分がいる。心の方は社会に合わせたりしない。自分は社会を意識したり、自分というものを思い通りにしようとコントロールしようとしたりする。「心」の自分『制御』の自分。心が欲しいものを制御があげる事ができればハッピー。制御がしようとすることを心が望まない時はアンハッピー。心と制御が仲良く息を合わせて生きてないと自分がちぐはぐになる。制御側の自分が強いままでここまで生きてしまった。もっと心の声に耳を傾けて心が感じた事に共感して生きれば良かったなぁ、なんて思う。これからはそうやって生きていこうと思う。制御が外の世界の声を聞きすぎると心は窮屈な思いをする。嬉しい事、楽しい事、幸せな事は心が感じる事なのだ。制御がいくら世間的な嬉しいとされるこ事や幸せと言われている事を実行しても心が望んでいないことなら人は嬉しくも幸せにもなれない。なんでこんな事に気が付かないまま生きてきたんだろう。文字で理解することはできても心が自発的に感じる事ができなければ自分の知恵にはならないのだ。いくら世界に素晴らしい言葉が溢れていても素晴らしい人間が世の中に溢れないのはそういうわけなのだ。寝たいなら寝る。考えたくないなら考えない。ボーっとしたいならボーっとする。”~したい”を決めるのがいつも心であればそんなに自分が嫌いにならなくて済むのかもしれない。制御が思い通りにしたくて心にちょっかいを出すのは止めるようにしようと思った。向上心とか。どこに向かって向上してるのかも分からないのに上ってどうすんだ。目的とか。それを達成してどうすんだ。したいと思った人がしたいと思った事をする。したくないと思った人はしない。それは自由であって欲しい。「未来のより良い自分の生活という目的のため向上心を持って今精一杯取り組む」みたいな言葉はまやかしでしかないんじゃないか。誰にとってより良いのか、それをより良いと判断したのは誰なのか。自分だとしても制御が判断したなら怪しい。心が判断したならいいと思う。向上心ってのはどこに向かって上るのか。どうせ精一杯取り組むなら自分の心がしたいと思う事でありたい。心は結構シンプルだが、理屈や社会通念が通じないので、要求を実現するのはシンプルにできない事は多いだろう。そういう心の要求を実現するための全力は尽くしてもいいと思う。その場合はほぼ確実に自分に何らかの実りが還ってくるだろうし、何より心が味方してくれると思えるからだ。今日は自分の中で新しい悟りに出会えた気がする。

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