最近Amazonオーディブルで読んだ本に、年収1億円になる人の習慣という本を読んだ。
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そして、これまでの人生、年収1億円を視野に入れて考えたことがないまま生きてきたことに気が付いたため、頭の中で1億円を分解してみた。
1万円札が1万枚で1億円。
なので、千円札が10万枚でも1億円。
そこでこう思った。
10万人の人から毎年千円貰えば1億円だと。
そのため、10万人の人から毎月100円貰えば1億2千万円になる。
そう考えたら、考える前よりも1億円が身近に感じた。
10万人という規模の理解が薄いかもしれないが、それでも同じ事実なのに以前より身近に感じた。
そのため、何か行動をしようという気になってきた。
10年後に年収1億円稼ぐための道筋を考えてみるのは、楽しい気がする。
ご馳走する喜び
昨日、職場の後輩に焼肉をご馳走した。
いつもお世話になってるし、先輩らしいところも見せたい欲があったから、そうした。
その行為は、自分の中の何かの欲を気持ちよく満たしてくれた。
だから、楽しい時間を過ごしてくれる相手に、望む時にご馳走できる自分であり続けたいと思った。
自分の快感のためにご馳走すると、相手も喜んでくれるというのは、とても幸せなことだと思う。
お金をたくさん稼いでいれば、お金の心配なく、喜んで望む誰かにご馳走することができる。
そういう自分であり続けたい。
思い出
そういえば、中学生の頃、友達A君B君にジュースを奢ったら、後日それを知ったC君がそういう(奢ったりする)のは止めた方がいいと忠告をくれた。
その時は、なんとなくそういうものか、と思ったくらいだった。
大学生の頃、後輩のために車を出してガソリン代とかの請求をしたりしなかったりしていたとき、ある後輩に「本当にお人好しですよね」と言われた。
その時は、なんだかお人好しというのは舐められてる感じがして、嫌な気持ちになった。
でも今はこう思う。自分のしたいようにすればいい、と。
ふと、そんなことを思って、誰かに何かをしてあげることは、たぶん、自分にとっては喜びなのだろうと思った。
誰かにどう思われても、自分のしたいようにすればいい(迷惑行為はNG)と思えるマインドが育まれて、改めて自分が好きなことを理解できたように思う。
損に見える行為だって、自分がそう思わなければ損ではない。
自分の心を満たすためにお金を使っただけの話だ。
そこに、お金を充分に稼いでいる、という前提条件があればさらに気持ちがいい。
10万人の人に毎月100円もらえるような「何か」を提供できて、年収1億2千万円を稼ぐことができれば、心を満たして生きていける。
そんな生活が本当にしたいと感じたので、今後は10万人の人に毎月100円もらう価値を提供する方法を考えて実行するために生きる。