FewRew

本音をぶちまける

ハッキリ言って人生がつまらない。どうしていいのか分からない。ネットで調べてみるとどうやら『老化』らしい。前頭葉という脳の大切な部分が老化するとやる気はなる無くなり感情が制御しにくくなるらしい。数年前から思い当たる節がありすぎる。お酒の飲みすぎでも前頭葉は委縮するらしい。今は月に1度飲むかどうかだが、10年以上毎日飲んでいたのでしっかりと委縮済みだろう。縮んだ脳が元に戻ることはないらしい。怒りを制御できない時が増えたしやる気も全然湧いてこない。自分という人格の黄金期は終わったのだと理解した。

老いはどうにもならない

これまでの人生を振り返る。いい事も悪い事もあった。楽しい事もツラい事もあった。ただそれだけだ。今はとにかく虚しい。福沢諭吉や太宰治などの先人達も最後の方で虚しさを噛みしめるような文章を書いたとどこかで見た。この虚しさはもしかしたら人類に分け隔てなく訪れるものなのかもしれない。そんなことを知ったところで何の癒しにもならないが。この虚しさをぶちまける場所があることが救いかもしれない。今味わっている感情を文章にして画面に叩きつける事で少しは冷静さを取り戻せている気がする。

虚しさはとめどなく溢れてくる

既にコントロールしようとする事は放棄した。自然に虚しさが薄れる周期を待つしかない。最近ネットでよく見かけるのは毒親に関する情報だ。色んな人が毒親を批判しているのを見て救われる感覚を覚える。オレの両親も毒親だった。父親の暴力、怒声、母親の愚痴、放置で育ったオレは随分と心がひねくれてしまっていたようだ。子供の心を殺す親だったと思う。親の都合以外に優先してくれることなど無いと感じていた。今更そんなことが分かっても、若い頃から集団で自分だけかもしれないと思っていた疎外感、いつも心のどこかに引っかかって抜けないさび付いた釘のような家庭への不安、今はもう関わらずに済んでいるのでやっと毒が抜けてきたのかもしれない。それでもふと、溢れる怒りや黒い感情はもう自分の心の一部になってしまっていて取り返しがつかない。親が憎い。その感情を肯定していいのだと、色んな人の体験や意見を見て救われている。

いつか楽になれるのだろうか

いつからか、この世に救いはないのだと思うようになった。そういうものなのだと受け入れる事ができた。悲しもうが苦しもうが祈ろうが信じようが救われないものは救われない。ただ結果があるだけだ。吉田兼好の徒然草を好んで読んでいた時期がある。金も名声も追う価値はないというような事が書いてある章がある。死んだら金があっても意味はなく、名声は言い伝える人もみんないずれは死んでしまうから意味はないとかそんなような内容だった。だから仏教がいいよ、みたいなことも書いてあったような気がする。仏陀について調べてみると、ある国の王子で29歳までたくさんの美女と一緒に父親が息子の為に建てさせた4季に合わせた4つの宮殿に住んで贅沢の限りを尽くして過ごしていたらしい。何不自由ない暮らしに疑問を感じて家を飛び出して35歳で悟りを開いたとのこと。そのことを知ってから、はっきり言って心が受け付けなくなった。この世界のほとんどはやりたい放題やれる環境に生まれた一部の人間が動かし続けているのだろう。自分がそうでないのであれば運命に抵抗して這い上がるか、諦めて静かに世の中という誰かが誰かの都合のいいように作ったシステムに飲み込まれていくしかないのかもしれない。それにしても虫一匹でも殺してしまったら地獄行きなんて、救われない話だ。救われたいなら~しろ、なんて勝手な話だ。しかし、人間としてどう生きるべきかを考えるという点についてはかなり為になる話が多い。煩悩という人間の性についての仏教の解釈はすごくしっくりくる。

自分の人生を生きるには

仏教関係を調べてみて最終的に思ったのは、どんなことであれ、誰かが言った事を鵜呑みにしてはいけないという事だ。それが神様と言われている人の言葉でもだ。自分の心も人生も、自分で向き合うべきだと思った。向き合うためのヒントとして宗教はとても色んな情報をくれるので学ぶのはいい事だと思う。だた鵜呑みにしてはいけないと感じた。それこそ救われないだろう。自分を救うのはきっと自分なのだ。

今回の記事は特に自分のためのもの

ほとんど読む人もいないこのブログであるけれど、宗教についての個人的な意見を述べてしまったので念のために注意書きを記しておくことにした。今回の記事はあくまでも自分に向けた言葉であり、誰かに向けたものではない。なので、もし読んでくれた人がこの記事はおかしいとか色々思ったとしても、できれば放っておいて欲しい。自分の胸にしまっておくのがツラいのでネットに吐き出しただけのたわごとなのだから、そう思っていただけたらと思う。

救いもなくオチもない

何となく勢いでここまで書いてしまった。明日からまた始まる仕事は憂鬱だし人生に明るい兆しも今のところ見えてこない。虚しい気持ちは強まる一方かも知れない。しかし、自分の本音、心の暗闇まで思い切り吐き出せる場所があることが分かった。誰にも読まれなくていい。それでも公開することで吐き出した感を得られてスッキリする。つらくなったらまた書きに来ようと思う。明日かもしれないし来年かも知れないが、また書きに来よう。

ここまで読んでくれた人がいたら、感謝したい。読んでくれてありがとう。

-FewRew