今日もぼんやりと過ごした

思うままに書いたもの

特別なことは特にない一日。仕事を終えてアイスを食べた。仮想通貨で溶かしたなけなしの10万円の記憶が今も胸をえぐる。昔から賭け事はからっきしだ。ツキに見放されているのかもしれない。6億円の夢を追いかけたBIGももう買うのをやめてしまった。買わなきゃ当たらない。確かにそうだ。だが、買っても当たらない。当たらないものを買わなければお金は減らない。昔、株で絶対に損しない方法というのをネットで見たことがある。値段は忘れたが、その方法を買った人に送られてきた封筒の中には「株をやらないこと」とかそんな話だった。今になってオレも思う。宝くじで損しない方法は、宝くじを買わない事だ。宝くじの事を「貧乏人の税金」と言う人もいるらしい。まんまと払ってしまったわけだ。宝くじを買うだけで一発逆転の夢なんてものを描くから悲しみは増えたのだろう。人間の欲は悲しい。求めるから行動し、思い通りにいかないからツラくなる。オレのように何かを成し遂げられない人間にとって世の中は厳しい。救いがない。ああ。金と権力が欲しい。生まれた時から金も権力も持っていた仏陀が金も権力も捨てて求めたものは悟りだったんだろうか。オレはきっと母の愛だったんじゃないかと思う。生まれた時に母親が亡くなってしまったらしい。母の愛に変わるものとして悟りを手に入れたのかもしれない。満たされる事のない心に金と権力を注ぎ続けても無意味だと考えて家を出たのかもしれない。オレには金も権力も母の愛も何もない。救いがない。神様と言われる歴史上の人物と自分を比べたところで何の救いもない。また今日も救われない思考に進んでいく。

今のオレを救うもの

今のオレを救っているのはこの画面に打ち込む文字たちだ。ここでは本音を言える。一応危険な表現や炎上しそうな内容などにならないような最低限度のマナーのようなものは意識しているが、それさえ気を付ければ本音が言える。言いたいときに言いたいだけとことん言える。そんな場所はオレにとってこの世でここしかない。誰にでも読めるように公開してはいるが、誰かに向けて話していない。しいていうなら自分に向けて話している。にもかかわらず公開しているため、誰かに伝えたという気になれる。金が欲しくて書いていたブログはもうやめてしまった。あんなもんオレには続けられない。正確にはそれでお金になっていれば続けられたのかもしれないが、オレはそんなコンテンツを作ることもできず、特に何も成し遂げる事なくひっそりとやめてしまった。とにかくネタがないのだ。誰かに気を引いてもらうために書くのは成果がでないと苦痛だった。今はお金や影響力が欲しくて書いていない。書くことで自分の心の安定を図っている。誤字脱字もそんなに気にせず内容も思いついたことを書くだけだ。誰も見てくれなくても自分も誰も困らない。むしろたくさんの人に見られるようになったらもうこんな気分では書けないだろう。そういえば昨日は自分の事が嫌いと書いた気がする。オレは自分が嫌いだと確信して表現したのは初めてだった。そのおかげなのか、今日はどうせオレは自分が嫌いだしね~ってな感じで、いつもより気が楽だった気がする。自己肯定感なんて言葉に踊らされてとにかく自分を肯定しようとした時期よりはかなりマシな状況だ。無条件の愛を知らずに育ってしまったのだ。むしろ両親には無条件にいじめられた気がする。そんなオレが自分を肯定するなんて、よくわからないのだ。オレはこれでいい、このままでいいなんて無理に思い込むよりは、自分の嫌なものは、たとえそれが自分であっても、嫌だと思える方がオレには自然な事のように思う。世界には人を救いたいと思う素晴らしい考えの人はいるが、実際には救いなどなかった。どこかにはあるのかもしれないが、オレには手に入れる事ができなかった。こうやって愚痴を吐くととても気持ちが救われる。そういう救いはあるのだが。他人に救ってもらえるような最低限度の性格とか常識とかそういうやつを持ってないのかもしれない。こうして自由にいかに自分が嫌なやつか、ダメな人間かを表現するのは慣れていないのですごく楽しい。こういう楽しさがあるなんて知らなかった。おそらく誰にも迷惑がかからないので本当に気楽に愚痴が言える。世界なんてつまらないとか特権階級の連中が妬ましいとか自分は不幸だとか言いたい放題言える。拗ねてもいい。こじれてもいい。自分ってめんどくせぇ!って思っていい。そんな風に考えていたら、やはりまた気が楽になった。子供の頃からこう思った事がバレたら殴られる、とかこう考えたら怒られるかもしれない、とかそんな事ばかり考えてきたから自由に考えて感じるだけで落ち着くのかもしれない。あ~あ、親が憎いよホント。

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