FewRew

全部の仮面を剥がしたら

モテたい

カッコつけたい

金持ちになりたい

いい暮らししたい

いい思いしたい

楽しみたい

ラクしたい

嫌なことはしたくない

寝てたい

欲望にはキリがないらしい。そして、残念ながらすべてを叶える事はできなさそうだ。もう少し~したいという欲望は最後まで無くならないのかもしれない。欲望を捨てたいという欲も叶えることができない。人間として生まれた以上、最後まで欲望と共に暮らすのは宿命なのだろう。

欲望との付き合い方

どうやって自分の欲望と付き合っていくか。叶わない夢を諦める事、嫌な過去に追われる事、不安な未来に潰される事、どれも自分を解放してくれない。『今』に集中することで少しは緩和されるが、無くなるわけではない。どうしたら全体的に欲を減らせるのか、そんなことを考えている。欲が減ると同時に意欲が減ってしまい、結局宙ぶらりんな時間が増えるような気もする。よくわからない。人間はいつだって心を思い通りにはできないのだろう。コントロールしようとした分だけ解放を求めるようになり、解放が足りなければ爆発する。オレは自分の心と付き合うのがもう嫌だ。ふとした時に自動的に脳裏によぎる過去の忌まわしい記憶なんか、嫌がらせとしか思えない。オレの心は何て性格が悪いんだろう。悔しいが死ぬまで付き合うしかないので、明るい性格に変わって欲しいものだ。自分の心も運命も思い通りにすることはできない。それを自覚するところからが何かのスタートなのかもしれないが、正直もう嫌でしょうがない。とことん自分の心や運命を嫌ってみてはどうだろうか。好き嫌いくらいは自由にしたいものだ。そう考えたオレは今から自分の心と運命の嫌な部分は大嫌いだと考える事にした。好きや嫌いに直観以外の何かが絡むと気持ちが悪い。だが、これまでほとんど好き嫌いまで社会に合わせて生きてきたように思う。今日、今この瞬間からそんな自分に別れを告げて、自分だろうが他人だろうが好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという気持ちだけは自由にさせてあげることにする。そう決めたら心の重りが少し軽くなったような気がした。そうか、オレの心は自由に感じる事を求めていたんだ。そんな風に思った。

望んだものは何一つ叶わない人生だった

自分の心の声を聴かないまま過ごしてしまったオレは、自分の心の声の望みをかなえないまま、社会に照らし合わせた損得勘定で生きてしまった。なんてつまらない人生なんだろう。人から良く思われたいだけの人生だったように思う。自分のために生きればよかった。そんな後悔に押し潰されて、今この瞬間からは自分のために生きると決めた。他人なんてどうでもいい。闇堕ちとも言えそうなこの感覚は、今の自分にはとてもすがすがしい。正義の味方も悪の親玉も、みんな物語の中で自分の生を全うしている。結果的に何かの役割を果たしているに過ぎないし、善悪は決める方の視点で変わるものだ。とにかく自分の思うように生きればいい。誰かが決めた正義なんてものに従ってもいい事なんてない。善悪は自分で決める。と言っても犯罪や迷惑行為に走るという事ではなく、自分の生き方は自分の頭で考えて決めるという事だ。

死ぬまでの時間をどう生きるか

オレの好きな徒然草に「世は定めなきこそいみじけれ」という一節がある。
善悪ともに程度が凄まじい、はなはだしい、並々ならない事を「いみじ」という。それを踏まえて現代訳すると、寿命という終わりがあるからこそ人生は善悪を超えて素晴らしい、という感じの事を言っている事がわかる。そう、人生は必ず終わるのだ。終わる覚悟ができたら今を精一杯生きる事ができるかもしれない。今日は終わるまでどうやって生きるかをじっくり考えてみる事にする。何かを成し遂げるにはオレのやる気は無さすぎる。とにかく可能な限りダラダラ暮らす方が向いているだろう。それで人生を終える覚悟を決めてからのダラダラは究極のダラダラ体験になるかもしれない。なんとなくブログくらいは続けて行こうと思う。自分に語りかけるブログだ。いつか読み返して楽しむ日が来るかもしれない。


-FewRew