わかりやすいという正義

インターネットが当たり前に使えるようになって、ウソの情報も本当の情報も適当な情報も個人的な感想も何でもかんでもごちゃまぜな世界にいつでもアクセスできるようになった。たくさんの情報を誰でも簡単に知ることができるが、その情報が正しいかどうかは自分で判断するしかない場合もある。人は分かりやすい情報を正しい情報として認識しやすいような話をどこかで見た事があるが、なるほどそうかも知れない。

わかりやすさについて考える

大学受験が終わってからしばらくの間、色々な人と話をする中で「難しい言葉が多くてよく分からない」と言われる事が増えた事がある。そこで思ったのは、会話する以上、相手に言ってる事が伝わる事が一番大事だという事だ。それから受験に染まった脳みそをほぐして、伝わる言葉を優先して使うように心がけたが、なかなかほぐすまでに時間がかかったのを覚えている。相手と場面によって適切な言葉が選べる時間が増えるようにんって、人と関係しやすくなったのは実際の体験を通して感じたことだ。

伝わる言葉

言葉は、伝わってこそ価値がある。それは、会話でも文章でも同じことだが、習得する技術としては別物だということを、ブログを書いてみて痛感している。書くという習慣が全然なかったこともあり、苦戦中だ。サクサクと書いたものが、サクサクと読めるものになるようにしたいのだが、なかなか思い通りにいかないのだ。頭の中である程度のまとまりができてないまま書いていると、後で読んだ時に話題の流れや繋がりがハチャメチャになってしまって困っている。自然に流れのある文章が書けるようになりたい。そうして伝わる言葉を身に付けていきたい。

伝えたいこと

そうやって伝わる言葉を考える一方で、伝えたいことを考える必要があると思った。伝えたいことがあってこそ、伝え方も生きるというものだ。考えてみれば、自問自答がこのブログのほとんどを占めている。何を伝えたいのかを自分の中で明確にする必要がある。果たして俺は、何を伝えたいのだろうか。

気持ちよく生きるための考え方

今浮かぶのは、気持ちよく生きるための考え方を伝えたいということだ。主に自分に対して語りかけている。自分の望むような考え方を身に付けたいのだ。そして、どこかの誰かが共感してくれたらいいな、なんて考えている。今はまだ何かが起こる気配はないが、良くも悪くもこの先に何が起こるかなんて誰にもわからないのだ。どんな未来が待っているにせよ、今やれることをやっていこうと思う。

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