失敗

失敗って、ひょっとしてとても面白いのではないか、と考えてみる。ここでいう失敗とは、取り返しのつかない事になる悲劇のような大きな失敗ではなく、日常のダメージ小さめな失敗の事だ。

失敗のイメージ

避けなければいけないシリアスな失敗はしたくないが、ちょっとした失敗は、笑いを生む事がある。失敗しないように生きるには、ある程度の緊張感が必要になるが、多少の失敗を楽しもうとすることで、その緊張感を解放感に変換してみようというのが今回の試みだ。

失敗を楽しめるか

思いつくままに何かを実行して、失敗する。面白ければ楽しむ。笑う。改善したければまた別の方法を試す。その繰り返し。そういう感覚、しばらく味わってない。競争力や効率化を求めるだけだと手に入らない能力。遊べる力。楽しめる力。近年、そういう力を大切にしていなかった事に気が付いた。何だかよくわからない行き詰まりを感じていたのはそのせいかもしれない。

人生の一部としての失敗

死が人生の一部であるように、失敗もまた人生の一部なのだ。事故を恐れて車の運転をしないならば、運転の楽しさを味わう事ができないように、失敗を恐れて挑戦しないならば、挑戦する楽しさを失う事になるだろう。どんな挑戦でもいい。何かに挑戦しているという楽しさを感じて生きていこうと思う。

今日はどんな失敗をしようか

どんな失敗をしようか考えてその日の計画を立ててみる。

「あーやっちゃったなー」

「無駄だったなー」

「意味無かったなー」

そんな一日を望んで過ごしてみようと考えると、意外と何かしようという気になる。どんな無駄な事をしようか考えると、なぜか少しワクワクする。有意義に過ごそうとしたりするほど計画の難易度が高くなり、結果めんどくさくなってしまうことはよくある。発想を逆転させてみることで、行動も逆転するという事は結構ありそうだ。

無駄

ムダという言葉は、よく考えてみると不思議だ。数字で初めてゼロという概念に出会ったかのようだ。無という概念にちょっぴり余計な遊びが含まれているような存在。美しいとさえ思えてくる。無駄の美学である。

「無駄な事しようぜ!」

なんて言われたらドキドキしてしまいそうだ。人生に死後の世界は無くて、死んだらそれで終わりだとするなら、人生は壮大な無駄なのかもしれない。何かをしてもいい、何もしなくてもいい、成功しても、失敗しても、みんな等しく無駄になる。後々偉大だと言われようがしょーもないと言われようが、無になった自分にその声が届く事はなく、知りようがない。だから、その時その時を好きに生きるべきだ。そんな世界の解釈があってもいいんじゃないかなー。

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