自分探しの旅

自分を探すのは楽じゃない。旅に出たって見つかるわけじゃない。たくさんの人に会ってみても、分からないものは分からない。なのに、いつだってすぐ近くにいる。それが自分。自分っていったいなんなんだ。

自分を探しに旅に出る。よくある話、よく聞く話。知らない世界を見て、スゴイと言われるものを見て、スゴイと言われる体験をして、人は何を知るのか。

自分がちっぽけだって事を知った。価値観が変わった。よくある答え、よく聞く答え。世界における自分のサイズが分かって、自分の悩みの小ささが分かって、それで自分がみつかるのか。よく分からない。

要するに、誰かの答えは自分の答えにならないのだ。

自分というものが分かる事、自分のすべきことに気付くこと、そこに明白な答えを探して彷徨ってきた。だが、答えのないまま時間は流れ、現在に至る。

歳を取れば分かるというのは幻想だ。歳を取るという事がどういうことか分かるだけだ。自分を捧げる事が見つからないまま時間が過ぎていくのは結構つらいという事は身に染みた。心も老いていくのだという事も身に染みて分かった。だが、知りたいのはそんなことじゃない。

何もない自分

こうして心の迷宮に迷い込むと、自分というものが揺らぎだす。自分には何にもないんじゃないかと、自分には自分を見つける事はできないんじゃないかと。

お金

何もない自分を覆う手段として、お金はとてもいい資源だ。欲しい。喉から手が出るほど大金が欲しい。だが、みんな欲しがるので簡単には手に入らない。何かいい手はないものか。そんな事を考えてる間にも、日々えんえんと資本主義のマウンティングは続いている。

そして解放へ

ゴチャゴチャ悩んでひとしきりグチャグチャしてから「まあいいや」と唱える。見つからなくてもそれほど困るわけじゃない。ない物ねだりをしてるだけだ。そんなことより仕事しよーっと。

落ちきった後に別方向への風向きを見つけ、それに乗って飛び去る。人生はそういう事の繰り返しだ。いつまでも出口のない場所をウロウロするべきじゃない。

「開き直る」なんていい言葉だろう。悪い事しといて開き直るのは良くない事だが、自分が行き詰った時に開き直る事に罪はない。むしろ爽快である。

開き直りの美学

これまで書いてきた記事に対しての一貫性など必要ない。思うまま書いてこそ生まれる表現もある。そこに需要が生まれる可能性もゼロではない。開き直りの達人になれば、いつだって自由がすぐそばにある事を感じて生きていけるだろう。そうして今日も俺は働くのだった。てへ。

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