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40歳を過ぎて感じる事

40歳を過ぎて、自分が何を得て何を失ってきたのか、今現在どんな人間になっているのか、自分なりに自分について考えてみた。

失ったと感じるもの

友達と一緒にいるだけで楽しいと感じる力

若いころは無限に感じるほど持っていた気がする。誰かと遊ぶのが楽しくてしかたなかった。その頃と比較すると今現在はカラっぽに近い状態と言える。これまでに色んな友達と色んな事をして過ごしてきたが、今はたまーに遊べればいいかな~くらいに思っている。

なぜなのかを考えてみた。

①結婚や出産で気軽に遊べなくなっていく人たちがいる。

②家が遠くなってしまい、だんだん会う機会が減っていく人たちもいる。

③自分が忙しくて、体力も衰えてきて休日は家でのんびりしたくなる気持ちが増えた。

この3つが大きな要因だ。

後先考えないで楽しむ気持ち

無茶をする事が楽しめなくなった。飲み過ぎれば二日酔いが待っているし、夜更かしすれば翌日に眠くなる。当たり前のことだが、そんなの関係ねぇ!っていう勢いはどこかに吹き飛んでしまった。こう考えると、若いころの自分とは完全に別人になっているのが分かる。連続した記憶を持つ自分ではあるものの、気力と体力がかなり減っている。これが歳をとるという事なのだと、改めて実感した。

自分なら何にだってなれるという自信

根拠はなくとも自信がみなぎっている状態、それは若さのエネルギーそのものだ。年齢とともに自分にできる事が増えもするが、減っていくものはそれ以上ではないだろうか。そういう事以上に、自分で自分の可能性を信じられる気持ちが減っているのも感じる。「40代でこの状況なら、きっとこの先もこんな感じだろう」みたいな決めつけもある。何となく、「この先大きな挑戦はしないだろう」という決めつけもある。今の状況を受け入れようとしているし、毎日ご飯が食べれて布団で寝れるのだからそれ以上を求めなくても良いではないか、という心の豊かさを求める方向もある。そんな事を考える日もあれば、totoBIG6億円当選の妄想にふける日もある。自分が何にだってなれると思う日々の感覚を失った事で、なんでもできそうな自分を取り戻そうとして宝くじの当選を夢見ているのかもしれない。

得られたと感じるもの

自分を優先する強さ

身勝手になったと言えばそうとも言える。若い頃は、みんなで楽しめる事とかがとても大切だったし、自分勝手な奴と思われるのが嫌だったのもある。色んな人にお人好しだねぇと言われてきた。実際、もっとまわりにどう思われても構わないという強さがあっても良かったんじゃないかと思う。それで失う友達もいたかもしれないが、それで得られる友達もいただろう。まぁ、それを感じて自分の意思を優先する事が増えて、楽に生きられるようになった現在の自分がいるので、まさに若い頃の経験を元に得られた感覚なのだろう。

経験

大雑把に言えば、これまでの人生は職を転々としながら趣味に生きてきた。それによって得られた経験が、今の自分を形作っている。この先に活かせるものがあれば嬉しいのだけど、どの趣味も趣味のレベルを超えれなかったので、ちょっと難しいか。いつか活かせる日がくると信じたい。そんな希望的観測を止めて、自分から活かすように動かないととは思うが、具体的にどうしたいのか決められず、動かないままこの歳になってしまった。趣味だから好きでいられるとか、仕事にすると嫌な面が出てくるとか、そういう言葉に惑わされたりして突っ切ることができなかった。自分の人生は自分で決めるという部分の強さが足りなかったのだ。安定した暮らしをしている人のアドバイスは、その人のように暮らすためのアドバイスだし、挑戦して失敗した人のネガティブなアドバイスは、失敗した際のケーススタディだ。安定を捨ててでも挑戦したい気持ちがあるならば、人の話をよく聞いて参考にしつつも、自分の欲望に従って決断する事の大切さを意識して生きようと思う。

友情

友達を大切にして生きてきた結果、数名の友人とこれ以上はないだろうと思えるほどの深い友情を共有することができた。彼らがいなければ、俺の人生はもっと乾いていただろう。今はそれぞれ仕事の都合で家が遠くなったり、家族を持って時間が取れなくなったりして年に数回しか会えていないが、それでも充分だったりする。

まとめ

自分から新しい世界に飛び込むような事をしなくなってから、もう何年も経っている。現在のところ、新しい刺激に飢えている自分と、今のままでいいと思う自分が何となく共存している。60代の人に言わせれば40代は一番働き盛りらしいのだが、自分としては枯れそうな冒険心に勝てそうもない状態だ。諦めることも逃げる事も上手になりすぎてしまった。結果、宝くじが当たった時の妄想に多くの時間を使っているわけだが、それはそれで楽しい。小さな喜びや楽しさに目を向けすぎて思考のスケールが小さくなってしまった感もあるが、悪いことだとも思っていない。ただ、何か安全に刺激が欲しいのだ。刺激的に生きたかった若い頃の自分には、現在の自分の生活はぬるま湯に浸かっているように見えるだろうなぁ。何かを始めてみようかな。

-FewRew